六根清浄の聖の山、極楽浄土の山として古代から人々が信仰してきや山である。自然をこよなく愛し、相互扶助と仲間を大切にしてきた交易の民としての熊襲・隼人の心の山としての霧島。殺生を嫌った平安中期の名僧であった性空の修行の地であった霧島。霧島周辺の地下式古墳では蛇行剣やゴウボラ貝を加工した首飾り、腕輪の装飾品が多数出土している。
 現在の霧島の山には六社権現として、現在の霧島神宮の他に、霧島東神社、東霧島大権現、狭野大権現、夷守神社、白鳥神社などがあるが、これらは、神仏混合であり、それぞれ寺領を江戸時代に与ええられていた。現在の霧島神宮は、西御在所霧島権現社で華林寺として540石をもっていた。参道は四キロを有していた。本尊は一一面観音である。性空は、霧島の山で庵住まいををして法華経を書写して悟りをひらき、目、耳、鼻、舌、身、意の6つの感覚器官のけがれを払われた六根清浄の境地にたった人である。遊女を見て、性空上人が目を閉じれば菩薩に変わり、目をあければもとの遊女である。遊女の行を菩薩行とする俗信仰が性空にはある

 江戸末期の三国名勝図絵に描かれた霧島神宮。神仏混合の西御在所霧島権現社と呼ばれ、中心に
華林寺という大きなお寺があった。霧島は、密教文化の影響を強くもち、修験道の山寺であった。
霧島山には、6つの大きな権現社があり、山麓全体で800の寺・坊があったといわれます。山霧島神宮は、
そのひとつであったのです。
 霧島の権現社を密教寺として整備していったのは、今昔物語、徒然草にも登場してくる名僧の性空聖人
平安時代の929年生まれ)である。性空上人は、霧島に修行中に、山の周辺の用水などの開発に大きな
功績を残したことが様々な説話としてのこったのです。えびの市加久藤の出水川の水田地帯の灌漑伝説など
性空聖人は霧島で修行し、法華経を書写して悟りをひらいた地です。性空聖人には、様々な説話があります。

霧島神宮下の川近くにある坊主墓          性空の墓石

 

霧島神宮の拝殿の柱の彫刻・白象という釈迦誕生の伝説
密教文化の獅子