ITによる福祉のまちづくり宣言

ITによる福祉のまちづくり宣言

 
 ITによる福祉のまちづくり宣言のねらい

 
 地域福祉の充実とIT革命の役割

 例えば、地域福祉を今後どのように霧島市として充実させていくかということもそのひとつです。福祉とITの役割を考えてほしいということです。つまり、地域ケーブルテレビなどを導入していくことは、福祉がきめ細かく、住民がより安全に生きていくうえで大きな役割をもつということがあるのです。
 地域ケーブルを利用しての在宅健康サービスを実施している自治体として、釜石市がありますが、そこでは、地域ケーブル回線を利用して、在宅治療者と病院、診療所を結び、健康アドバイザーを行って、早期発見、健康改善の活動をしています。ひとり暮らしの老人に相談連絡用の端末を設置して、相談ボタン、緊急ボタンを押すと在宅介護支援センターに伝達されて、緊急の場合は医師やホームヘルパーが訪問するしくみです。このようなしくみは過疎が進行する自治体では大切なITを使用した地域ケアの体制です。すでに、長野県北御牧村兵庫県の瀧野町、岡山県金光町。そこでは、当然ながら学校教育にも地域ケーブルが積極的に利用され、生徒や教員がテレビ会議なども実施しています。高齢者にとって、緊急のよびだし装置があるということは、安心して暮らせる大きな要素です。
 
 安否確認のマホービンの出現

 最近は、安否確認できるマホービンも開発されています。高齢者の親が給湯した状況を自動的に別居している家族に連絡するしくみです。お湯を利用した日時をEメールで携帯電話やパソコンに送信するしくみです。これは、複数の場所にも連絡でき、福祉センターなどにも連絡することも可能です。プライバシーを尊重しながら緊急事態がわかるようなしくみでもつくれば地域の福祉サービスとも利用できるポットです。
 最近はITの技術革命によって、過疎地域でも安心して生活していける可能性が広がっています。霧島町のような山村では、とくに、ITによる充実した福祉サービスが求められているのではないかと思います。
 
 IT革命による徘徊機器の登場により管理から自由へ

徘徊感知機器の登場により、お年寄りのボケ対策にも、管理的ではなく、自由にのびのびと生きられる時代に入っています。まだらボケなど、一時的にボケることもある痴呆症もあり、痴呆性老人が外にでてもセンサーによって感知して家族や隣人に通報するしくみや、コインなどの子機を身につけた痴呆性老人が本体から設置した距離以上に離れると警告ブザーがなるなど徘徊についても様々なタイプの福祉機器がでています。
 
 福祉ロボット技術の発達の期待

また、ロボット技術の発達により、人間の機能を回復していけるような介護が可能になり、自立のためのサポ-トがIT技術の発達によって可能になっています。寝たきりという言葉をなくして、自立援助という介護の時代になっていくのです。
 
 IT革命の国民生活の積極的利用による日本経済の再生

 ITは様々な生活分野に応用され、福祉と教育にとっても大切な技術革命です。現在、日本はIT不況に見舞われ、当初予定したよりも国民的なIT革命は起きていません。多くの市町村役場や学校教育の現場でも十分にIT革命はされていません。産業空洞化ということで、日本でのものづくりの構造は、先端産業部門、高度な技術分野、環境保全産業、健康・福祉産業などの生産がより大きな位置を占めていく時代です。そならなければ、日本は沈没していくでしょう。現在のような霧島の役場の状況は全国的にありますし、新しい時代に挑戦していかないことが日本経済をだめにしているのです。
 
 国民的規模でのIT革命と
          市町村役場の役割

 国民的な規模で、IT革命を進めていくうえで、市町村役場や小中学校の役割は大きいと思います。日本経済を再生させていくためにも小さな山村の役場からも、その活性化の一端を担うではないでしょうか。
 日本の未来のために、また、人類の理想の地として霧島を活性化しようではないでしょうか。昔から霧島は、極楽浄土の山として信仰を集めてきた土地です。性空聖人が若いときに修行し、日本の説話集が生まれた地域でもあります。新しい時代をつくるか、このまま怠惰の道を選び滅亡に協力していくか、今市町村役場職員や小中学校の教職員は、鋭く問われているのではないでしょか。

六根清浄の聖の山、極楽浄土の山として古代から人々が信仰してきや山である。自然をこよなく愛し、相互扶助と仲間を大切にしてきた交易の民としての熊襲・隼人の心の山としての霧島。殺生を嫌った平安中期の名僧であった性空の修行の地であった霧島。霧島周辺の地下式古墳では蛇行剣やゴウボラ貝を加工した首飾り、腕輪の装飾品が多数出土している。
 現在の霧島の山には六社権現として、現在の霧島神宮の他に、霧島東神社、東霧島大権現、狭野大権現、夷守神社、白鳥神社などがあるが、これらは、神仏混合であり、それぞれ寺領を江戸時代に与ええられていた。現在の霧島神宮は、西御在所霧島権現社で華林寺として540石をもっていた。参道は四キロを有していた。本尊は一一面観音である。性空は、霧島の山で庵住まいををして法華経を書写して悟りをひらき、目、耳、鼻、舌、身、意の6つの感覚器官のけがれを払われた六根清浄の境地にたった人である。遊女を見て、性空上人が目を閉じれば菩薩に変わり、目をあければもとの遊女である。遊女の行を菩薩行とする俗信仰が性空にはある

 江戸末期の三国名勝図絵に描かれた霧島神宮。神仏混合の西御在所霧島権現社と呼ばれ、中心に
華林寺という大きなお寺があった。霧島は、密教文化の影響を強くもち、修験道の山寺であった。
霧島山には、6つの大きな権現社があり、山麓全体で800の寺・坊があったといわれます。山霧島神宮は、
そのひとつであったのです。
 霧島の権現社を密教寺として整備していったのは、今昔物語、徒然草にも登場してくる名僧の性空聖人
平安時代の929年生まれ)である。性空上人は、霧島に修行中に、山の周辺の用水などの開発に大きな
功績を残したことが様々な説話としてのこったのです。えびの市加久藤の出水川の水田地帯の灌漑伝説など
性空聖人は霧島で修行し、法華経を書写して悟りをひらいた地です。性空聖人には、様々な説話があります。

霧島神宮下の川近くにある坊主墓          性空の墓石

 

霧島神宮の拝殿の柱の彫刻・白象という釈迦誕生の伝説
密教文化の獅子